2022年6・7月号、450号
目次
学会からのお知らせ
8月研究会
下記の通り研究会を開催いたします。
参加を希望される方は、学会ホームページのNEWS欄「研究会のお知らせ(8/6)」に掲載されているGoogleフォームにて参加登録をお願いいたします。参加を登録された方には、後日メールでZoomアドレス等についてご連絡いたします。
テーマ:三十年戦争における教皇庁の対スペイン政策──ウルビーノ公領併合初期(1623-1625)をめぐって
発表者:喜友名朝輝氏(東京大学大学院人文社会系研究科・博士課程後期)
日 時:8月6日(土)午後2時より
会 場:Zoomオンライン会議システム
参加費:無料
近世の教皇たちは、カトリック教会の首長と教会国家の君主という2つの顔を有していた。本発表では、宗派対立が最終段階にさしかかった三十年戦争に焦点を絞り、教皇が特に「世俗君主」として何を重視し、ヨーロッパ政治に参与したのかを見る。こうして、教皇が三十年戦争期にスペインとの緊張を強めた一因が、領土の利害にあったことを明らかにし、それがグローバルな宣教政策の次元の問題にまで結びつく可能性を展望する。
第46回地中海学会大会
第46回地中海学会大会は6月11日(土)、12日(日)の2日間、大塚国際美術館の後援を得て、同館別館にて開催されました。3年ぶりの対面開催となった今大会には80名近い会員が参加して旧交を温め、盛況かつ活気に溢れた大会となりました。
6月11日(土)
13:00 開会宣言
挨拶:田中秋筰(大塚国際美術館)
13:15~14:15 記念講演
青柳正規「イタリアでの発掘50年」
14:30~17:00 美術館見学
17:10~17:40 総会(会員のみ)
18:00~20:00 懇親会
6月12日(日)
10:00~12:00 研究発表
「オペラ「ロドペとダミラの運命」──17世紀中葉のヴェネツィア派オペラにおける狂気の表象と自己成型──」内坂桃子
「地中海趣味の日本」河村英和
「オベリスク型墓石のグローバル・ヒストリー──インドの英人墓地からの試み」冨澤かな
12:00~13:00 昼食
13:00~16:00 シンポジウム
「模倣し複製する地中海」
パネリスト:京谷啓徳/飛ヶ谷潤一郎/日向太郎/園田みどり
司会:芳賀京子
16:00 閉会宣言
第46回地中海学会総会
第46回地中海学会総会(山田幸正議長)は大塚国際美術館別館オープンスペースにて下記の通り開催されました。2021年度事業報告、2021年度決算、2022年度事業計画、2022年度予算が承認され、2021年度の会計・会務執行も野口昌夫・島田誠両監査委員により適正妥当と認められました。
議事
一、開会宣言 二、議長選出
三、2021年度事業報告 四、2021年度収支決算
五、2021年度監査報告 六、2022年度事業計画
七、2022年度収支予算 八、閉会宣言
2021年度事業報告(2021.6.1~2022.5.31)
Ⅰ 印刷物発行
1.『地中海学研究』XLV 2022.5.31発行
(論文)「ミノア・ミケーネ美術における猪図」小石絵美/「ランベルト・シュストリスのアウクスブルク滞在──越境するヴェネツィア派芸術家の画歴再構成とカトリック改革期南ドイツの美術パトロネージ──」久保佑馬/「アンリ・ルランベールの下絵に基づくタピスリー連作〈コリオラヌスの物語〉──《家族を迎えるコリオラヌス》を中心に」竹本芽依/「ゴルドーニの『スタティーラ』──演劇改革の萌芽」大崎さやの/(書評)「チャールズ・バーニー『チャールズ・バーニー音楽見聞録〈フランス・イタリア篇〉』」今井民子+森田義之(訳)河村英和
2.『地中海学会月報』441~449号発行(6・7月/9月~12月/1・2月/3月~5月)年間9回
3.「地中海学会会員名簿」の発行
4.『地中海学研究』バック・ナンバーの頒布
Ⅱ 研究会、講演会
1.研究会
「トリグリフを有する祭壇──地表近くに計画された構築物」川津彩可(オンライン会議システム8.7)/「モロッコにおける国民統合──ベルベル人の帰属意識」金子直也(オンライン会議システム9.4)/「中近世エジプトのアラブ部族に関する再考~水利社会、国家との関係から~」熊倉和歌子(オンライン会議システム12.4)/「レオナール・フジタ「平和の聖母礼拝堂」と聖母崇敬」吉岡泰子(オンライン会議システム2.12)
2.連続講演会
コロナ禍のため延期中
Ⅲ 賞の授与
1.地中海学会賞 該当者なし
2.地中海学会ヘレンド賞 該当者なし
Ⅳ 文献、書籍、その他の収集
1.『地中海学研究』との交換書:『西洋古典学研究』『古代文化』『古代オリエント博物館紀要』『岡山市立オリエント美術館紀要』Journal of Ancient Civilizations
2.その他寄贈図書:月報・学会ホームページにて周知
Ⅴ 協賛事業等
1.NHK文化センター青山アカデミー水曜講座「世界を知る」企画協力
2.ワールド航空サービス知求アカデミー講座企画協力「地中海学会セミナー」
Ⅵ 会議
[コロナ禍のため、賞選考小委員会1回以外はすべてオンライン開催]
1.常任委員会 4回開催、他Eメール上にて
2.学会誌編集委員会 2回開催、他Eメール上にて
3.月報編集委員会 1回開催、他Eメール上にて
4.大会準備委員会 1回開催
5.大会実行委員会 2回開催、他Eメール上にて
6.ウェブ委員会 Eメール上にて逐次開催
7.賞選考小委員会 1回開催
Ⅶ ホームページ
URL=http://www.collegium-mediterr.org
Ⅷ 大会(第45回大会)
12月11日オンライン開催
Ⅸ その他
1.新入会員:正会員9名;学生会員5名
2022年度事業計画(2022.6.1~2023.5.31)
Ⅰ 印刷物発行
1.学会誌『地中海学研究』XLVI(2023年5月発行予定)
2.『地中海学会月報』発行 年間約10回
3.『地中海学研究』バック・ナンバーの頒布
Ⅱ 研究会、講演会
1.研究会の開催 年間5~6回程度
2.アーティゾン美術館土曜講座「蘇生する古代」全4回(2022年10月)
Ⅲ 賞の授与
1.地中海学会賞
2.地中海学会ヘレンド賞
Ⅳ 文献、書籍、その他の収集
Ⅴ 協賛事業、その他
1.NHK文化センター青山アカデミー水曜講座 企画協力
2.ワールド航空サービス知求アカデミー講座 企画協力「地中海学会セミナー」
Ⅵ 会議
1.常任委員会 2.学会誌編集委員会
3.月報編集委員会 4.大会準備委員会・実行委員会
5.ウェブ委員会 6.その他
Ⅶ ホームページ
URL=http://www.collegium-mediterr.org 逐次更新
Ⅷ 大会
第46回大会(於大塚国際美術館オープンスペース)6月11・12日
Ⅸ その他
1.賛助会員の勧誘 2.新入会員の勧誘
3.法人化に向けての検討 4.展覧会招待券の配布
5.その他
論文募集
『地中海学研究』XLVI(2023)の論文・研究動向および書評を以下のとおり募集します。
論文・研究動向 32,000字以内
書評 8,000字以内
締切 2022年10月末日(必着)
投稿を希望する方は、テーマを添えて9月末日までに学会誌編集委員会(j.mediterr@gmail.com)までご連絡下さい。
なお、本誌は査読制度をとっています。
地中海学会大会 研究発表要旨
オペラ『ロドペとダミラの運命』―17世紀中葉のヴェネツィア派オペラにおける狂気の表象と自己成型―
内坂 桃子
本発表では、17世紀中葉のヴェネツィア派オペラの中から狂気を主題とした演目の1つ、オペラ『ロドペとダミラの運命』Le fortune di Rodope e Damiraを取り上げ、狂気を装う王妃ダミラを演じたローマ出身の歌手で、最初のオペラ・ドンナと考えられているアンナ・レンツィAnna Renzi(1620年頃~1661年以降)に焦点を当てながら、狂気の表象と自己成型の関係を論じた。
1637年、ヴェネツィアに初の公共オペラ劇場が建設されて以降、狂気は人気のある主題の1つとして、多くのオペラで取り上げられてきた。その先駆けと考えられるのが、レンツィが初めてのヴェネツィアの舞台で狂女デーイダメイアを演じ、国内外で大好評を博した1641年初演のオペラ『偽りの狂女』La finta pazzaである。当時のオペラ台本執筆の主翼を担っていた未知のアカデミーAccademia degli Incognitiによって1644年に出版された詩集『ローマ人アンナ・レンツィ嬢の栄光』Le glorie della Signora Anna Renzi romanaにおいて、レンツィは演技力の高さと、その演技を支える声の柔軟性を高く評価されているが、これらは多彩な変化が特徴の狂気の場面を演じるに非常に適した素質だったと推測できる。
記録に残る限りレンツィのヴェネツィアにおける最後の出演作である『ロドペとダミラの運命』は、1657年にサン・タポリナーレ劇場Teatro Sant’ Apollinareにて初演された。アウレリオ・アウレーリAurelio Aureli (1652年以前~1708年以後)の台本に、ピエトロ・アンドレア・ツィアーニPietro Andrea Ziani (1616年以前~1684年)が曲をつけたこのオペラで、レンツィ演じるダミラは、娼婦ロドペに夢中になるエジプトの王であり夫のクレオンテによってナイル川に見捨てられるが、農夫バートに助けられる。その養女フィダルバとしてクレオンテに再会する機会を得たダミラは、狂気を装うことで夫とロドペとの結婚を阻止することを決意し、様々なレトリックを用いて、クレオンテの良心に訴える。その結果、最後に王は自らの行いを悔い改め、愛と地位を取り戻した王妃ダミラへの賛美でオペラの幕は閉じる。
3幕構成のこのオペラにおいてダミラの狂気の場面はいくつかあるが、今回は特にダミラが農夫の娘フィダルバとして夫のクレオンテに対面する最初の場面と、狂気を装うダミラがクレオンテと2人で対話をする最後の場面に着目し、観察される3つの特徴を紹介した。まず狂気の場面で慣習的にみられる言葉や音楽などの唐突な変化に加えて、レンツィのアイデンティティが、農夫の娘から狂女へ、そして王妃へと多様に移り変わる。第2に、ダミラ扮するフィダルバは、その装った狂気の中で、夫を主神ゼウスに、自分をその浮気性に苦しむ妻ヘーラーになど、神話の神々や歴史上の人物に擬える。第3に、ナイル川でのダミラの最後を描いた1枚の絵画を援用し、視覚的に夫の不義を訴える。
先行研究において、エレン・ロザンドは、狂気は登場人物を通常の礼節から自由にする仕掛けであると解釈しており、また松本直美は、コミックリリーフや気晴らしの機能があるという見解を示している。本発表では、イタリアの「狂っている」状態を表す語彙の中で特に‘pazzia’また‘pazzo/a’に着目し、役者や演奏家が自らの才能を存分に生かせる、過渡的で創造的な場としての狂気を想定している。加えて詩や劇の中で狂気に陥った人物の状態を示す‘fuori di sé’という言い回しに関連し、狂気を装う女性が「自身の外」に出たあと、次々と他者に変化する様を、コンメディア・デッラルテの女優イザベラ・アンドレイニIsabella Andreini(1562年~1604年)の狂気の場面を例にとり、レンツィやアンドレイニらの狂気の表象が弁別的で、それぞれの能力を存分に発揮するものであったことを示唆した。
また、狂気を媒介として夫に発言するダミラは、女性の美徳は貞節と沈黙にあるとされていた当時のイタリア社会において、男性にただ黙して従うのではなく、自発的に関係性に介入する新しい女性像を提示している。これは、未知のアカデミーの両義的な女性像に加え、当時ヴェネト州で盛んであったquerelle des femmesとして知られていた女性に関する論争において中心的な存在であったモデラータ・フォンテModerata Fonte(1555年~1592年)の女性の肯定礼賛論などの影響が勘案される。
また、スティーヴン・グリーンブラットの自己成型Self-Fashioningという概念を参考に、一方でレンツィのオペラ歌手としてのアイデンティティ、また他方で新しい役割を担う女性としてのアイデンティティを形成する仕掛けとして機能する狂気の表象の解釈を提案したが、今後更に説明を重ねていく所存である。
地中海学会大会 研究発表要旨
地中海趣味の日本―「南欧風」建築熱の今昔―
河村 英和
1980~90年代、海外の町並みを模したテーマパークやショッピングセンターが日本各地で急増するも、バブル崩壊後にその多くが破綻・低迷した。にもかかわらず、とりわけ南欧(西、仏、伊など)の建物の模倣については、21世紀に入ってもアウトレット、ホテル、結婚式場、建売住宅などの外観デザインで好まれ続けている。近年はSNSで写真映えする関心から、撮影スポット・観光地・映画やドラマのロケ地として、さらにコロナ渦で渡航が制限され、緩和・解除後は円高インフレで旅費が高騰して海外旅行がしづらくなると、国内にいながら外国気分に浸れる場所ということで、海外の建物や町並みを模した商業施設の人気が再燃している。
日本の洋風建築の歴史をふり返ると、最も長期にわたってとくに事例も多いのは、スペイン風建築だ。1920~30年代、日本に拠点を置く米国人建築家(モーガン、レーモンド、ヴォーリズら)が活躍し、当時北米西海岸で流行していたスパニッシュ様式が、彼らの実作を通じて紹介され、日本人建築家の主な留学先も欧米であったことから、スパニッシュ様式が、公共建築(大学、駅舎、ホテル)や中流以上の住宅を中心に各地(とくに東京と近郊、関西)で広まった。欧米の住宅建築に精通した西村伊作は、自著『楽しき住家』(1919年)でスパニッシュ・コロニアル/ミッション様式を紹介し、『明星の家』(1923年)では、本物よりも簡素化させたスペイン風が日本の民家にも合わせやすいことを述べている。白壁とオレンジ瓦が特徴的なスペイン風住宅は、1922年に大阪で開催された住宅改造博覧会にも登場し、洋風住宅専門の設計事務所「あめりか屋」の活躍もあり、1920~40年代の住宅雑誌・書籍ではスペイン風住宅が頻繁に紹介されていた。戦前のホテル建築では、海辺の町(逗子、伊東、熱海、大島)のみならず、湖畔(山中湖、河口湖、芦ノ湖)や、北陸の温泉地(山中温泉、湯桶温泉)のような内陸部にもスパニッシュ様式が採用され、流行の最端をゆく粋な意匠と考えられていた。
戦前までの事例は、アメリカのスパニッシュ様式を手本にしたものが多かったが、高度経済成長期にあたる1950~70年代は、日本独自にキッチュにアレンジした南欧風・スペイン風「もどき」が優勢となり、鋳物装飾、白壁、スペイン瓦(なぜかオレンジ色よりも青色が流行)を備えたマンション、個人住宅、医院、飲食店が都市部で急増した。1980~90年代は、バブル景気によって海外旅行がより身近になり、本物の南欧建築に接する機会が増え、再びオレンジ瓦と白壁のスペイン風建築が流行する。1992年はバルセロナ・オリンピックとセビリア万博の開催もあり、スペイン風でもとくにアンダルシア風への愛着が強まり、気候・地形的に地中海と親和性が高いところを中心に、アンダルシア風をイメージしたリゾートやまちづくり(伊王島、賢島、沖縄、宇和島、淡路島、館山、宝塚、横浜本牧)が行われた。スペインのテーマパークも数多くできたが、バブル崩壊で頓挫(玉野、手結港)したり閉業(呉)したりするものもあり、同じ頃、ポルトガル村の計画(大分、泉佐野、種子島)も集中したが、すべて中止となった。今も営業している、1994年開業の「志摩スペイン村(パルケ・エスパーニャ)」では、マドリードのマヨール広場、バルセロナのグエル公園、トレドのカンボン門、フランシスコ・ザビエルの生家の城を再現した建物があり、最寄り駅や警察署、ガソリンスタンドまでもがスペイン風にデザインされた。地中海に見たてられた紀伊半島では、仏西伊の港町を模した和歌山のテーマパーク「ポルト・ヨーロッパ」や、地中海沿岸の島々(西ミノルカ、伊サルデーニャ、希ミコノス)の民家の再現が楽しめる「志摩地中海村」のような宿泊施設もでき、今も観光地として存続している。
1990年代は、ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』がベストセラーだったこともあり、「南仏の」町並みをイメージした都市計画(南大沢)や、南仏の街角を模した「星の王子さまミュージアム」(箱根)もできた。イタリアへの関心が高まったのもバブル期で、「イタ飯」ブームでティラミスやナポリピッツァが上陸、トスカーナ・ワインが愛でられ、トスカーナの中世の町・建物からインスパイアされた商業施設(山梨、川崎、那須)も登場した。バブル期前後には、ヴェネツィアを再現したテーマパーク(広島、名古屋、浦安)や商業地区(自由ヶ丘)が各地に登場し、お台場にはパラディアンスタイルの街並みのあるショッピングモールもできた。2000年代に入ると、新橋・汐留のオフィス街が北イタリアの都市の町並みをイメージしてデザインされ、近年では、地中海的イメージをより強く感じさせる南イタリアの島や町(カプリ、プロチダ、アルベロベッロ)の建物や町並みを模倣することが増えてきている。
グリーンバーグはキッチュは大衆が生み、モルはキッチュは上流階級の真似事という。日本の南欧風建築や模倣が今も生き永らえているのは、キッチュでカラフルな「映える」被写体が大衆の心を掴むからだろうか。