地中海学会月報 MONTHLY BULLETIN

学会からのお知らせ

第46回地中海学会大会

第46回地中海学会大会は2022年6月11日(土)、12日(日)の2日間、大塚国際美術館にて開催する予定です。ご存知のとおり、コロナ禍をめぐる状況は相変わらず予断を許さず、昨年同様、延期やオンライン開催となる可能性も否定できませんが、大会実行委員会は会場とオンラインのハイブリッド開催を前提に、着々と準備を進めておりますので、ご期待ください。

6月11日(土)
13:00 開会宣言
 挨拶:田中秋筰(大塚国際美術館)
13:15~14:15 記念講演
 青柳正規「イタリアでの発掘50年」
14:30~16:30 未定
16:40~17:10 授賞式
 地中海学会賞・地中海学会ヘレンド賞
17:10~17:40 総会(会員のみ)
18:00~20:00 懇親会(於システィーナ・ホール)
6月12日(日)
10:00~12:00 研究発表(3名程度)
12:00~14:00 昼食
14:00~17:00 シンポジウム
 「模倣し複製する地中海」(仮)
 パネリスト:京谷啓徳/飛ヶ谷潤一郎/日向太郎/園田みどり
 司会:芳賀京子
17:00 閉会宣言

第46回地中海学会大会研究発表の追加募集

第46回地中海学会大会での研究発表を追加募集いたします。第46回大会は会場とオンラインのハイブリッド開催を予定しており、世界中どこからでも参加できます。ご自宅での研究発表も可能ですので、研究発表を希望する会員は、4月8日(金)までに発表概要(1,000字以内。論旨を明らかにすること)を添えて事務局へお申し込み下さい。発表時間は質疑を含め、1人30分の予定です。採用は常任委員会における審査のうえ決定します。

地中海学会研究会発表者募集

ご存知のとおり、地中海学会は事業の1つとして年間4~6回の研究会を開催しており、今年度もすでに4回の研究会を開催しました。研究会はこれまで長く、学会事務局のある東京都内で開催してきましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、昨年度からオンラインでの開催に移行しており、世界中どこからでも参加できます。ご自宅での研究発表も可能ですので、発表を希望する会員は事務局にお申し込み下さい。次回研究会は4月9日(土)を予定しています。

第2回常任委員会

日 時:2022年2月12日(土) 16:35~18:38
会 場:オンライン会議システム(Zoom)
報告事項:『地中海学研究』XLV(2022)について/石橋財団寄付助成金の申請について/会費未納者について/研究会について/企画協力講座について/日本学術振興会受賞候補者の推薦について
審議事項:第46回大会について/地中海学会賞について/地中海学会ヘレンド賞について/「個人会費割引B」の適用について

会費納入のお願い

2021年度会費の納入をお願い申し上げます。自動引き落としの手続きをされていない方は、以下のとおりお振込ください。なお、今年度から学生会員の会費が改定されていますので、お間違えのないようご注意願います。

会 費: 正会員 10,000円
学生会員 5,000円
個人会費割引A/B 8,000円
振込先:口座名「地中海学会」
    郵便振替 00160-0-77515
    みずほ銀行 九段支店 普通 957742
    三井住友銀行 麹町支店 普通 216313

研究会要旨
中近世エジプトのアラブ部族に関する再考
~水利社会、国家との関係から~
熊倉 和歌子
12月4日 オンライン会議システム(Zoom)

マムルーク朝時代の史料において「ウルバーン(‘urbān): アラブ部族[‘arab]の複数形)」と呼ばれる人々は、一般的には、7世紀のアラブ・イスラーム軍の侵攻に伴ってアラビア半島から移住してきた部族集団と理解されている。これらの人々は、幹線道路の警備や駅伝のための馬の提供などの責務を果たすとともに、軍事力としてスルターン軍を補完するなど、スルターン政権への奉仕をする一方で、スルターンの権力が弱まると、幹線道路の遮断や地方行政官の殺害を決行してスルターン政権に反抗するという、「ならず者」としても叙述される。これまでの研究では、彼らは遊牧と結びつけられて水利社会の外部の人間として扱われ、しばしば水利社会の敵対者として見なされてきた。他方、オスマン朝が制定した「エジプトのカーヌーンナーメ」には、アラブ部族のシャイフは土手(ジスル)の維持管理や徴税において重要な責務を負うことが明記される。この相違に着目し、報告者は、すでにマムルーク朝期においてアラブ部族が水利において一定の役割を果たすようになっていた状況を、オスマン朝が引き継いだと考えた。本報告は、この仮説を、行政指南書や百科全書におけるアラブ部族の位置づけと、年代記に記される彼らとスルターン政権との交渉にかんする叙述をもとに検証した。

マムルーク朝期に編纂された行政指南書や百科全書において、アラブ部族にかんする情報が初めて記されたのは、イブン・ファドラッラー・ウマリー(1349年没)によって14世紀前半に編纂された『諸国道里一覧』と考えられる。これは、各地の部族とその氏族のリストである。その後、同著者による『高貴なる用語の解説』においては、書簡術におけるスルターン政権側のアラブ部族の序列についての考え方が整理されるに至った。このような記述は、その後、カルカシャンディーによる百科全書『夜盲の黎明』(1412年)に引き継がれていった。他方、カルカシャンディーは、『アラブの部族に関する知識への究極の野望』および『我々の時代のアラブ部族の知識についての真珠の首飾り』(1416年)』というアラブ部族の系譜にかんする2つの書を編纂した。その後、アラブ部族の系譜をまとめるという行為はマクリーズィー(1442年没)による『エジプトの地にいるアラブ部族についての解説の書』に引き継がれていった。

このようにしてアラブ部族の序列が規定され、系譜がまとめられていった背景には、スルターン政権側が彼らとの関係を規定するための情報が必要であったためである。その契機は、ナースィル・ムハンマド(在位1293–1294、1299–1309、1310–1341年)による一連の開拓事業に求められる。3度目の治世に返り咲いた1310年以降、ナースィル・ムハンマドは、上下エジプトの開拓事業を進め、その過程で軍事遠征を行い、反抗的なアラブ部族を捕縛し、土手の建設をはじめとする灌漑の維持のための強制労働に送るなどした。軍事的制圧とアラブ部族の移住、そして灌漑の維持管理のための労働力の振り分けが連動して行われた結果、1315年に上下エジプトを対象とした検地(ナースィル検地)を実行することが可能となったのである。

スルターン政権の地方統治の方針は、その後も一貫して、利害を一にする部族を取り込み、アラブ部族間の敵対関係を利用しながら敵対する部族を排除していくというものであった。行政指南書や百科全書の記述に表れる、アラブ部族を分類し・序列化しようという要求の高まりは、スルターン政権がこのような方針に基づき、下エジプト地域や上エジプト地域の辺境にまでその支配権を伸張する過程において生じたと言える。一方で、スルターン政権側にとってもアラブ部族の協力が不可欠であった。上エジプト地域においては、同地のアラブ部族の権威がスルターンの権威に勝り、スルターンの権威を保障する存在となっていた。彼らは、同地の人々と交渉し、村落での対立を調停するような役割を果たしていたのである。また、スルターン政権にとって、スルターンの権威を認めない農民たちに税を納めさせるためには、同地を代表するアラブ部族のシャイフの権威が不可欠でもあった。したがって、スルターン政権は、アラブ部族とのあいだで絶え間ない交渉を続け、不服従の場合には軍事力をもって服従させ、農業に従事することを条件に恩赦を与え、支配権を確立していったのである。地方社会におけるスルターン―農民―アラブ部族という三者の関係は、おそらくそのままオスマン朝に引き継がれ、先に見た「カーヌーンナーメ」の規定に反映されることとなったと考えられる。

地中海学会大会 地中海トーキング要旨
地中海が見た病と健康
小池 寿子

コロナ禍が鎮まらぬまま迎えた第45回大会もオンライン開催となった。昨年来、会場予定の大塚国際美術館での開催を断念したため、当番機関なしの大会であったが、昨年度のオンライン開催のノウハウを十全に活用し、スムーズで充実した大会となり、事務局・大会実行委員の方々の並々ならないご尽力に感謝申し上げる。

トーキングのテーマは「地中海が見た病と健康」。まさにコロナ禍始まりの頃に設定したが、これからこそ、ポスト・コロナ時代を迎えて、考えてゆかねばならないテーマとなった。
プログラムは以下の通りである。

1.篠塚千惠子 元武蔵野美術大学教授 「古代ギリシアの癒しと健康とイメージ──古典期アテネの美術を中心に」
2.畑浩一郎 聖心女子大学 「カミュのペストを読む」
3.山辺規子 奈良女子大学 「Tacuinum sanitatis が示す健康──中世後期イタリア由来の健康マニュアルから」
4.吉村武典 大東文化大学 「疫病とマルムーク朝期エジプト社会」

まず、篠塚千惠子氏は、以下の目次に見るように、アテネとその一帯のアッティカ地方で崇拝された癒しの神や英雄たちの聖域について奉納大理石浮彫彫刻を中心に古代ギリシアの人々の癒しと健康への願いから、どのようなイメージが創作されたのか検討した。医神アスクレピオスのみならず、むしろ健康女神ヒュゲアイアに人々の関心が寄せられていたことが浮き彫りになった。1)エピダウロスからアテネへの勧請、2)アクロポリス南麓の聖域出土の奉納浮彫の図像タイプ、3)儀式場面浮彫、4)ヒュギエイアとアテナ・ヒュギエイア、終わりに)前400年頃ないし前4世紀初頭に作られ、アテネでも知られていたヒュギエイア讃歌を紹介。

ついで畑浩一郎氏は、コロナ禍でベストセラーとなったカミュ著『ペスト』を詳細に分析した。語り手である医師ベルナール・リューをはじめ、ペストを神の集団的懲罰と説教しながらもやがて真の信仰へと導かれ罹患して死んでゆく神父ペルヌー、そしてこの世の中は制度として認められた殺人により成り立っていることに気づく主人公の友人ジャン・タルーら、個性を放つ登場人物の心理劇は、何を我々に問うのか、次のように提示する。「個」から「集団」へとゆるやかに変化するオラン市民の意識、宗教の役割、また、対ペスト行為に対して過度な評価は慎み各々の行動の意義を正確に見定めるアンチ・ヒロイズムの思想。コロナ禍を生きる私たち一人一人の態度を鑑みる貴重な機会となった。

つづく山辺規子氏はTacuinum Sanitatis(タクィヌム・サニターティス 原書名『健康表』著者イブン・ブトラーン)を中心に、中世医学における基本方針、すなわち具体的な健康維持に関する理論と思想について、豊かな写本挿絵のイメージを数々使いながら発表した。著者は11世紀半ば、バクダードで医学を学んだ東方キリスト教徒であり、シリア、エジプトで医療活動を展開し、その医術に基づいた養生の指南書である。具体的には、生活を秩序立て、身体の健康=四体液のバランスを守ることを目標とする。医者はものごとの性質をよく心得て、医学的アドバイスを行う。過剰なものは排出し、足りないものを補うなど、食事に関わる項目が多い。また、序文の基本アドバイスでは、1)人間が呼吸し運動すべき環境(光と空気)を整える。2) 正しい飲食の文化をもつ。3)運動と休息を正しくとる。4)過度の睡眠と過度の不眠を避けてバランスをとる。5)Humorを正しく維持できるように接種排出する。6)喜びや怒り、恐怖、落胆(といった感情)を穏やかにし自身を律する、など、養生の具体案が明示されており、今日でも充分指標ともなる教訓である。

最後の吉村武典氏は、まず、コロナ禍によって広範な読者を獲得している著書の紹介も兼ね、人類と病、感染症、疫病の歴史を概観。ついで「疫病とマムルーク朝期エジプト社会」西暦1347~48年(ヒジュラ暦748~49年)にエジプトを襲ったペストの大流行(黒死病)が当時の社会にどのような影響を与えたかを詳らかに紹介した。イスラーム時代西アジア社会では度々疫病の流行が見られるが、黒死病はその中でも長期、広範囲に及んだパンデミックであった。その間、都市と地方はいかなる状況であったのか。とくに地方と農村社会の荒廃は著しく、総じてマルムーク朝全体に大きな影響を及ぼし、ひいてはマルムーク朝崩壊の原因ともなった。また黒死病をはじめ疫病への対応として、予防、治療、そして祈りが行われたが、総合病院の果たした役割も大きい。その医療方針は、古代ギリシアのヒポクラテス医学を継承したアラビア医学に負っており、『タクィヌム・サニターティス』の養生術にも通じうる処方であり、古代ギリシアを淵源とした医療の滔滔とした流れを俯瞰できた。
トーキングを通して、なおも続くコロナ禍での生き方を再考できたのではないだろうか。

受賞の挨拶
熊倉 和歌子

このたびは、ヘレンド賞という名誉ある素晴らしい賞をいただくことができ、大変光栄です。ご多忙の中、審査に当たってくださいました審査員の方々に心より感謝いたします。また、授賞式に先立ちまして、対面で副賞のプレートを賜る機会を用意してくださいましたヘレンド日本総代理店星商事株式会社鈴木社長、そしてその場に駆けつけ、立ち会ってくださいました小佐野会長と飯塚事務局長に厚く御礼申し上げます。

今回受賞の対象となりました拙著『中世エジプトの土地制度とナイル灌漑』は、2019年に東京大学出版会から出版されました。それは、2011年にお茶の水女子大学に提出した博士論文と、その後に発表した研究論文を単著としてまとめたものです。出版に向けて具体的に動き始めたのは2017年のことで、その翌年、運良く科研費・研究成果公開促進費(学術図書)が採択され、出版が現実的なものとなりました。

これまでの研究成果を単著としてまとめるという作業は、自分が何に関心をもって研究に取り組んできたかを冷静に見つめ直す機会にもなりました。そもそも、これまでの成果というのは、単著を書くことを想定せずに発表してきたので、それらを串刺しにする論点を設定する必要がありました。そこで、土地制度、灌漑の維持管理、それらに関わる記録管理という3つの論点を設け、各章がつながりを持つように大幅に書き直すことにしました。

出版準備の中、初めての出産と育児も体験しました。出産は帝王切開で2018年6月5日が予定されており、一方、原稿の方は6月末が入稿の締め切りというスケジュールでした。いざ入院というときにも原稿は完成しておらず、結局、PCと研究書籍一式を持参しての入院となりました。出産直前まで作業し、出産後は術部の痛みと寝不足に耐えながら、校正作業に明け暮れました。慣れない育児との両立で精神状態を乱すときもありましたが、そこは夫がずいぶん助けてくれました。赤ん坊を育てながらの校正作業も終わり、拙著ができあがったときには、ようやく一段落ついたことにほっとしました。

今から思うと、2004年に博士課程に進学してから拙著の刊行に至るまで、紆余曲折があり、長い時間を要しました。2005年から2007年にかけて平和中島財団の助成を受けてカイロに留学することができ、現地の文書館で文書漬けの日々を送ることができました。その後、帰国し、いざ論文として成果を発表しようとしたときに、膨大な記録を消化できずになかなか論文が書けずにいた時期もありました。博士論文提出後は、任期付きの職を点々とし、任期のことが常に心配でした。研究を続けていきたいという一心でやってきた、といえると格好がよいのですが、実際は、不安:希望=7:3くらいでした。周りの人々が次々と就職を決めていくなかで、取り残されていってしまうような気持ちも感じていました。

そのようなことを思い出しつつ、改めて拙著を手にとってみると、これまで支援してくださった方々のことが心に浮かんできます。直接お礼を申し上げることができる人もいれば、それがかなわない人もいますが、本当に多くの方に叱咤激励していただいて、ここまでやってこられたと感じる今日この頃です。

今回、これまでの研究が評価されたことを率直に嬉しく思うとともに、今後一層の努力が必要だとも感じています。一つは、拙著が出版されてから2年近くたち、拙著の書評も雑誌論文等に掲載されるようになりました。それらを読むたびに、まだまだ課題はたくさん残されているということを痛感しています。もう一つは、後に続く人たちの支援を意識していかなくてはならないということです。現在、全世界的に人の行き来が難しくなり、博士課程にいる方たちは大変な困難を強いられています。そうした中で自分ができることは限られてはいますが、何らかの形で支援できればと考えています。3つ目は、これは本学会に所属したいと思ったきっかけでもありますが、地中海、地中海圏という視点から中近世エジプトの社会や経済をとらえなおしてみたいと思っています。エジプトの農村をナイル流域の社会としてだけでなく、「地中海の庭」としても見てみることで、王朝領内の問題に留まらず、当時の人々の領域を越えた経済的・文化的な営みに迫ることができるのではないかと考えています。

まだまだ未熟者ですので、今後ともご指導ご鞭撻いただきますようお願い申し上げます。

地中海学会大会 研究発表要旨
COVID-19影響下におけるイタリアの舞台芸術
―演劇とオペラの場合 大崎 さやの

本発表では、COVID-19影響下におけるイタリアの舞台芸術の動向を、発表者の専門である演劇とオペラのケースに絞って、日本における舞台芸術を取り巻く状況とも比較しつつ考察した。イタリア・日本両国において最初のCOVID-19患者が発見された2020年2月から、本発表を行った2022年12月までの期間、イタリアと日本の劇場や舞台関係者がどのような状況にあったのか、ウェブ上の報道や雑誌記事等の情報に基づいて両国の状況を時系列に整理し、概観、考察した。

イタリアでは2020年3月から首相令により劇場が閉鎖され、同年6月に再開されたが、同年10月から再び閉鎖された。11月に首相令により全国の州が危険度別に3つの地域に分類された。危険度大のゾーンはレッド、中のゾーンはオレンジ、小のゾーンはイエローとされた。レッドゾーンでは自治体内でも仕事や緊急の場合以外は移動禁止となり、オレンジゾーンでは自治体間の移動が禁止された。さらにイエローゾーンも含め、すべての地域において夜10時から朝5時まで外出禁止とされ、劇場が閉鎖された。2021年1月の首相令以降は、無観客上演が可能となった。再び劇場が再開されたのは2021年4月であった。

日本では、2020年2月に安倍晋三首相により、イベント等について中止、延期、規模縮小の要請がなされ、多くの劇場で公演の中止や延期が発表される。同年4月から5月までの第一次緊急事態宣言後は、劇場等における感染拡大防止のガイドラインが発表され、イベントの人員制限が緩和されて、6月から公演が再開される。9月に演劇興行は100パーセントの座席使用が可能となる。2021年1月、第二次緊急事態宣言が発出され、再び公演の中止や延期が発表される。3月の宣言解除後、4月に第三次緊急事態宣言が発出され、公演中止や無観客配信が広がる。5月末、東京都は、イベント開催は人数上限5千人かつ収容率50%、営業時間短縮を要請する。これに伴い、劇場公演が徐々に再開される。第三次緊急事態宣言は、最終的に同年9月に終了した。

以上、イタリアと日本のCOVID-19蔓延下の舞台芸術状況を調べた結果分かったことは、両国とも、COVID-19蔓延以前から舞台芸術家たちが置かれてきた不安定な状態が、蔓延下で一層可視化されたということである。

イタリアでは、財政的支援を恒常的に受けている施設や大劇場と、自営劇団や中小劇場の格差が浮き彫りになった。しかしデモ等の働きかけが功を奏し、舞台芸術関係者に補償金が支給されることが決まった。

日本の場合は、舞台芸術に対し、新たなプロジェクトへの助成は出るが、補償金は出ず、飲食業のような「協力金」も出ない。日本では公演の中止や延期に対する法的拘束力はなく、あくまで主催者の判断による自粛扱いとなるのがその理由である。2021年12月の時点で、日本はイタリアと比べ、コロナの感染状況は落ち着いており、ほぼ平時の状態で劇場公演が行われていたが、感染状況が深刻な場合への備えは、いまだ作られていない状況にある。ただし、COVID-19蔓延下において、イタリア、日本とも、無観客上演の配信という、舞台芸術への新たなアクセス方法が誕生した。これは感染状況に左右されにくい上演方法であるばかりでなく、普段劇場に足を運ぶことが出来ない人々にまで舞台芸術を届ける手段として有効となる。さらに、舞台芸術のデジタルアーカイヴ化が進展した。

では舞台芸術は映像配信すれば済むものなのか。舞台芸術のライブ公演の意義を考えると、まず配信映像では俳優の顔の細部まで映し出せる一方で、カメラのフレームがその他全てを排除してしまう。劇場全体を見渡せ、しかも自分の注視したい部分を選べる状況と、固定された小さな映像の一画面しか見られない状況では、情報量が違う。舞台上演を撮影した映像は、映画やテレビの映像と並列して考えた場合、撮影や編集に力を入れない限り、映像としては映画やテレビに劣ってしまう。また演劇やオペラといった舞台芸術は、上演の場に集う人々の共同の体験でもある。ミラノ・ピッコロ劇場の監督セルジョ・エスコバルが述べるように、「劇場とは“体と体の接近戦”の場」で、演者の肉体と観客の肉体が同じ空間で近距離にあることで成立するのが舞台芸術だと言える。生の舞台により、COVID-19で失われた人と人の距離の近さを取り戻すことが可能となる。また、たとえばミラーニューロンの反応がライブと映像ではちがうことを実証した赤ちゃん学の開一夫氏の研究によると、赤ちゃんはお母さんの映像よりも実物にずっとよく反応する。生の舞台による、脳の活性化も期待できる。

COVID-19により、今後も人と人の距離を以前のように戻すことは難しいかもしれない。だが、劇場で生きた舞台芸術に触れ、時間と空間を他の人々と少しでも共有することは、日々オンラインばかりで感覚の鈍ってしまった人間にとって、脳を活性化し、体の感覚を取り戻す、最良のリハビリ装置となるのかもしれない。

地中海学会大会 研究発表要旨
ランベルト・シュストリスと南ドイツ対抗宗教改革
―16世紀ヴェネツィア派芸術家とフッガー家、オットー枢機卿の美術パトロネージ――
久保 佑馬

本発表では、1515年頃アムステルダムで生まれたのち1530年代にイタリアへ移住し、1552年以降南ドイツのアウクスブルクで活躍したヴェネツィア派芸術家ランベルト・シュストリスについて、生涯の事績と制作作品を分析した。アルプス南北で越境を繰り返したこの画家は、芸術家個人のレベルで国際交流が活発化した16世紀ルネサンス文化を象徴する人物であったが、活動記録が乏しく、作品帰属も見解が一致しないため、画歴の再構成が難しく、美術史的評価も定まらないまま今日に至っている。発表では、彼の創作力が最も旺盛でインスピレーションに満ちていたアウクスブルク時代を中心に取り上げ、彼がフッガー家の美術パトロネージや黎明期の南ドイツ・カトリック改革(対抗宗教改革)へどう貢献したか、具体作例に即して考察した。

12~13世紀以来、ヴェネツィアなど地中海沿岸の諸都市と通商を始めた南ドイツ帝国自由諸都市では、経済基盤を成す都市商人たちが美術パトロネージを担った。特に15世紀後半以降、ヨーロッパ有数の豪商へ急成長したアウクスブルクのフッガー家、ヴェルザー家は都市社会で権威を築くべく美術の力を利用し、イタリアの芸術家たちへ作品を発注し、時には彼らを南ドイツに招聘しながら美術品収集を競い合った。

16世紀中ごろアウクスブルクを訪問したシュストリスも、そうした経緯で招聘された1人であったが、彼の前半生、すなわちイタリアでの修業時代はほとんど記録がなく、カルロ・リドルフィの『美術の驚異』(1648年)でティツィアーノ、ティントレット工房での助手活動が紹介されたのみである。発表第1部では、彼のローマ訪問期(1535~36年頃)の活動や作品を分析したのち、リドルフィの言及するティツィアーノ工房での助手活動を1530年代後半と位置付けた。裏付けとして、1536~38年頃ローマからヴェネツィアへ移ったシュストリスが、ティツィアーノ《ウルビーノのウェヌス》(1538年)のヴァリエーション絵画としてアムステルダム国立美術館の《ウェヌス》を制作し、《聖母の神殿奉献》左手背景の山岳描写にも筆を加えた形跡があると主張した。

シュストリスは1541年頃パドヴァで独立し、ヴェネト地方各地の別荘建築でフレスコ壁画を手掛けたが、パドヴァで芸術パトロネージの資金が枯渇すると、シュマルカルデン戦争後政情が安定し、美術事業が増え始めたアウクスブルクに活躍の場を見出した。発表第2部では、まず彼が1548年のティツィアーノによるアウクスブルク訪問に同行した可能性を検討し、親方の指導のもと《クリスティーヌ・ド・ダヌマルク》、《ニコラ・ペルノ・ド・グランヴェル》といったハプスブルク宮廷への肖像画制作を担当したと推論した。また1552年にアウクスブルクへ単身移住した際は、フッガー家を始めとする都市商人たちの注文で《ノリ・メ・タンゲレ》、2つの《ホロフェルネスの首を持つユディト》、《クレオパトラの死》、《スザンナと長老たち》等を描いたと制作作品を特定した。一連のヴェネツィア的女性像をクローズアップした絵画群は、パリス・ボルドーネのフッガー家神話画連作に着想を得たと考えられ、コートールド美術史研究所に写真史料が残る《ディアナ》は、シュストリスに帰属されるべき作品として、2人のヴェネツィア派芸術家の影響関係を裏付けると主張した。

第3部ではカーン美術館所蔵の《キリストの洗礼》を分析し、シュストリスが黎明期の南ドイツ・カトリック改革に協力した具体事例を示した。1546~47年のシュマルカルデン戦争でカトリックの優位が確立した南ドイツでは、アウクスブルク司教のオットー枢機卿がカトリック改革を主導し、司教領内ディリンゲンで聖職者養成の大学を設立した。後身のギムナジウムには《キリストの洗礼》のレプリカが現存し、カーンのオリジナル絵画は元来ディリンゲン大学に飾られていたと推定される。《キリストの洗礼》では、ヨルダン川対岸にキリストの洗礼場面を無視し、「真実」の象徴たる裸体女性を非難するファリサイ派司祭たちが描かれ、手前岸では、雲間から神が現れる奇跡を見上げる人々や、神に何かを語り掛ける赤子の姿が描写されている。『ルカによる福音書』第10章21節の絵画化と解釈されるこのヨルダン川両岸での対比描写には、知識なき者の方が宗教的真実に迫ることもあると、聖職者の衒学的態度を戒めたオットーの考えが反映されており、《キリストの洗礼》はカトリック聖職者への教訓絵画として制作注文されたと推論した。

史料に乏しい画歴や作品帰属を整理し、南ドイツ・カトリック改革への協力を跡付けたことで、シュストリスがイタリア人に劣らぬ技量と見識を備えた芸術家であったと明らかにした。アルプス南北の美術史上重要な役割を演じた人物であると再評価し、発表を締め括った。

表紙説明

学会からのお知らせ

第45回地中海学会大会は2021年12月11日(土)、オンラインにて開催されました。事前登録者は107名でしたが、実際の参加者は入退室があり、ほとんどのプログラムに70数名、懇親会には30名弱の参加者がありました。

Zoomによるオンライン大会は昨年度に続いて2度目の試みとなりました。通常なら開会宣言は大会開催機関の関係者にお願いしているところ、今回は大会開催をご快諾いただいた大塚国際美術館に、あらためて2022年6月開催予定の第46回大会をお引き受けいただいていることから、特に大会開催機関を設けない異例の大会となり、開会宣言も小佐野重利新会長にお願いすることとなりました。

また、月報443号でお知らせしたとおり、大会プログラムのうち、記念講演とシンポジウムは、会場となる大塚国際美術館を強く意識して企画されていることから、そのまま第46回大会に持ち越すことになったため、今大会は2つの研究発表と地中海トーキング「地中海が見た病と健康」、地中海学会ヘレンド賞授賞式に懇親会という、これまた異例の半日のみのプログラムとなりました。

とはいえ、大会実行委員会では、ヘレンド賞の副賞であるヘレンド社製磁器プレート『地中海の庭』の絵柄なども大会参加者が共有できるよう、大会前にヘレンド日本総代理店星商事株式会社にて副賞授賞の機会を設けていただき、絵柄や授賞の模様を写真撮影してパワーポイントで提示するなど、対面での大会開催に少しでも近づけるよう、プログラムその他に工夫をこらしました。

特に懇親会については、会員から提供された写真が地中海のどこかを当てる全員参加のクイズや、参加者を5~6人ずつ振り分けたブレイクアウトルームでのフリートークのように、昨年度のオンライン懇親会で好評を博したプログラムに留まらず、参加者全体で「学会の今昔」などをトークリレーする新たな企画も打ち出し、大塚国際美術館で前回、大会を開催した際の思い出なども語っていただきました。

第45回大会は、新型コロナウイルス感染防止のため、6月に予定していた大会を年末に延期したにもかかわらず、最終的には再びオンライン開催を余儀なくされたうえ、わずか半日のプログラムとなってしまいましたが、大会参加者は来年こそ大会を対面で開催できることを願いつつ、オンラインならではの充実した時間を過ごしました。