写真で綴る地中海の旅 journey

2019.04.17

機織りの重り

地中海世界の〈道具〉19:機織りの重り/師尾 晶子

古代ギリシアの機織りは,上から下へと織る方式がとられた。簡単に組まれた枠組みの上部に経糸を1本ずつくくりつけ,その経糸に重りをつけて垂直にぴんと張り,杼(ひ)を使って緯糸をとおす作業を繰り返して布地を織った。機織りの仕事は,女性のたしなみとされたが,彼女たちの仕事は,羊毛を梳いて毛糸を作るところからはじまった。根気のいる作業で,1ヶ月ほどの時間を要した。それから織機に糸を張って重りをセットし,さらに何日もかけて布地が織られたのである。

古代ギリシアにおいて,よき妻として期待された仕事には,育児と家事の監督,そして機織りがあった。それゆえ女性は,幼少のときから家庭において機織りの手ほどきを受けた。アテナイでは4年に一度の大パンアテナイア祭において女神アテナの像に着せる聖衣(ペプロス)が奉納されたが,この聖衣を織り上げたのはエルガスティナイ(織り子)と呼ばれる良家から選ばれた少女たちであった。彼女たちは年長者の監督を受けて織機の組み立てからはじめ,4年かけて聖衣を完成させた。

織機の重りは各地から多数発見されている。その形は円盤状のもの,そろばん玉のような双円錐形のものなどさまざまあるが,ピラミッド型のものがとくに多かった。博物館の展示では左上図にあるように重り1つにつき1本の糸がくくられて吊るされているが,実際には,下図にあるように,ある程度の経糸を束ねて重りにくくりつけて糸を張っていたようである。重りはテラコッタ製で,左上図にあるように,釉薬がかけられたり単純な型押しが施されたりすることもあった。いくつかのデザインのものを組み合わせて使うことで,織り目を数えまちがえることのないよう工夫していたのかもしれない。

右上図の重りには文字が書かれている。アルファベットが使用されるようになって間もない前8世紀のものと推定されているが,所有者が記名しようとしてうまくいかずにアルファベットを順に書き連ねたのか(途中からでたらめだが),廃棄された重りに文字の練習をしたのか,不明点も多い。底面には馬の絵も描かれており,書き手が同じであれば,この文字は女性ではなく男性によって書かれたと考えるべきである。女性の持ち物に男性が文字を書く背景に何があったのか,謎はつきない。

下図は黒像式レキュトス(香油壺)に描かれた機織りの風景である。壺の側面には,ぐるりと一周するように毛糸作りからはじまる作業の様子が見られる。一連の作業が描かれているため,女性の作業場の一例として書籍に取り上げられることの多い図であるが,機織りをする女性2名が他の女性よりも小柄かつ幼いことから,単なる機織りの光景ではなく,エルガスティナイに選ばれた少女たちが女神アテナに捧げる聖衣を織っている場面を描いたものだと解釈されている。写真ではかろうじて椅子の脚の先端が見えているだけだが,実際には,玉座に座した女神アテナの姿が織機の真上に描かれており,そのことを示唆している。

図版出典:S.I.Rotroff and R.D.Lamberton, Women in the Athenian Agora, The American School of Classical Studies at Athens 2006, 35, fig.40 and fig.41 (The Metropolitan Museum of Art, Fletcher Fund 1931, 31.11.10, mid-6th century BC); H.R.Immerwahr, Attic Script, Oxford 1990, Plate 1.2 (Agora MC 907)

*地中海学会月報 394号より