写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

イリオン城(アテネ)

地中海の〈城〉11:王妃の塔/村田 奈々子

この可愛らしいお城は,アテネの中心部から約6キロ北のイリオンにある「王妃の塔」と呼ばれる城である。王妃とは,ギリシア王国初代国王オトンの妻アマリアをさす。ドイツやフランスで目にする城とは比べものにならないくらい小さいし,このような「ヨーロッパ風」の城をギリシアで目にすることも,まずない。

近代のギリシア国家は,1830年にオスマン帝国から独立を勝ち取ることで成立した。その3年後,バイエルン国王ルードヴィヒ1世の次男で17歳のオットー(ギリシア名オトン)(1815-67)が初代国王として即位する。オトンは20歳でオルデンブルク大公の娘アマーリエ(ギリシア名アマリア)(1818-75)と結婚した。

オトンにとっても,アマリアにとっても,生地ではないバルカン半島南端の貧しい小国で,新しい暮らしをいとなむのはけっして容易なことではなかっただろう。夫がカトリック,妻はプロテスタント信者である王家に,正教徒であるギリシア国民は反感を抱きさえした。それでも国王夫妻は,彼らなりにギリシアを愛した。

王妃アマリアが残した仕事としてよく知られるのは,今日アテネの中心部にある国立庭園の造営である。

庭園の造営中,アマリアは,アテネ郊外に広大な土地を購入した。オスマン帝国時代にはチフトリキと呼ばれた小作人が耕す農地に,王国の模範農場を作ろうと考えたのである。

彼女は,当時のギリシア人の心をとらえていた「メガリ・イデア」(コンスタンティノープルを首都として全ギリシア民族の包摂をめざす領土拡張主義思想)を象徴するものとして,この土地にコンスタンティノープルと同じ7つの丘をつくらせ,それぞれにアルゴー船船員の名前をつけた。その際王家の別荘として作られたのが,王妃の塔である。ネオ・ゴシック様式の建物で,オットーの故郷バイエルンのホーエンシュヴァンガウ城を真似たといわれる。

完成したのは1854年8月25日。この日はオットーの父ルードヴィヒ1世の誕生日にあたる。城内で最も広い2階のホールには,ギリシア,バイエルン,オルデンブルクの紋章が掲げられている。青を基調とした壁と天井,亀甲文様の床,小ぶりな家具,ゴシック様式の照明は,アマリアのロマンチックな趣味を反映している。

オトンがあまりこの城を好まなかった一方で,アマリアはよくひとりで訪れたという。彼女はここで故郷のドイツを偲んだのだろうか。

城の完成からわずか8年後,国民の蜂起により,国王夫妻はギリシアから追放された。その後,城をふくむこの土地の所有者は次々に変わった。今日では,民間のワイン会社が城を管理している。

王妃の塔の入口では,ギリシアの民族衣装をまとった若き日のオトンと,この場所を愛したアマリアの肖像画が,今も静かに城を見守っている。

*地中海学会月報 407号より