写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

アルカサル(マドリード)

地中海世界の〈城〉4:マドリード,「アルカサル」(旧王宮)/ 貫井 一美

スペインの首都マドリードの王宮は,1736年に発案され1764年に完成した端正な美しい建物で,“alcázar”(王城,城塞)というより“palacio”(宮殿)という響きが相応しい外観である。以前,ここには「アルカサル」と呼ばれる旧王宮が存在した。

「アルカサル」の起源は,イスラムの城塞であったとされている。9世紀後半,アル・アンダルスの北限を守るための砦がムハンマドⅠ世によって建てられた。この城塞は11世紀後半にカスティーリャ王アルフォンソⅥ世によって奪取され,次第に町が造られた。マドリードである。

やがてスペイン国王カルロスⅠ世は,このイスラム起源の要塞の大改築を命じ,「アルカサル」とした。フェリペⅡ世以前には,スペインには首都という定まった場所がなく,その時々に王がいるところに宮廷が営まれるという,いわゆる移動宮廷であったが,カルロスⅠ世の息子,フェリペⅡ世は,1561年にこの地を首都とした。その中心となったのが「アルカサル」である。マドリードが首都となった事で「アルカサル」はスペイン王家の居城,そしてハプスブルク宮廷が営まれる場となった。フェリペⅡ世,Ⅲ世,Ⅳ世,カルロスⅡ世の治世をとおしてスペイン・ハプスブルク家の政治拠点であり,同時に王室の美術品の宝庫でもあった場所である。

「アルカサル」の各部屋は王室の美術品コレクションによって飾られていた。現在,プラド美術館が所蔵する絵画作品の多くを私たちはアルカサルの財産目録に見いだすことができる。ベラスケス作《ラス・メニーナス》の舞台となったのもこのアルカサルの一室である。[皇太子の間]と呼ばれていたこの部屋はその主人であった皇太子バルタサール・カルロス亡き後,画家ベラスケスのアトリエとして使われており,《ラス・メニーナス》の画面からも壁面が絵画作品によって埋め尽くされていた様子がうかがえる。1648年,ベラスケスは二度目のイタリア旅行へ出発するが,これもアルカサル改築に際しての美術品購入を目的としていた。このように内部は美しい絵画,彫刻で装飾されていた「アルカサル」は,歴代国王たちによって増改築が繰り返されていたが,残された資料などから推測するに,現王宮と比較するとイスラムの城塞の面影を残し,簡素で質実剛健な外観を持ち,厳格な宮廷儀礼が支配していたハプスブルク王家の居城に相応しい「王城」の印象である。

表紙の上図は,Juan Gómez de Moraによるアルカサル南側ファサードの復元模型,下図は,Nicolas Guérardによる,フェリペV世がポルトガルへ向けて「アルカサル」を出発する様子を描いたものである(いずれもマドリード歴史博物館蔵)。

イスラム支配,レコンキスタ,そしてハプスブルク家によるスペイン帝国の歴史の証人であった「アルカサル」は,1734年12月24日,聖夜に焼失する。ハプスブルク家は断絶し,ブルボン家がスペインを統治して間もない頃であった。ハプスブルク王家の最後を見取り,後を追うように消えていったのである。「アルカサル」の火災では多くの美術品が失われた。そして統一国家スペイン帝国初の王朝であったハプスブルク王家の記憶もまた,その多くがこのアルカサルと共に灰燼に帰したのである。

*地中海学会月報 399号より