1343年4月9日,水曜日,地中海東部の島キプロスで一人の男がある写本の書写を完了した。後に“キプロス戦記”と総称されることになる230葉をこえる大冊を筆写した男は年紀に添えて次のように記している。“キレニア城代エイムリ・ド・ミマール殿の俘囚ジャン・ル・ミエージュ,これを写す。”この男が名乗り通り“医師”であったのかどうかは定やかでない。ともあれ,フィリップ・ド・ノヴァールの『回想録』を我々に伝えてくれる唯一の写本がこれである。
フィリップ・ド・ノヴァールは,13世紀前半のオリエントで軍事,行政,外交等の分野で令名を馳せたばかりではなく,『エルサレム王国慣習法全集』の編纂や封建法の運用の解説書などを通じてその晩年にはオリエント随一の法曹家とうたわれた逸材である。彼は老年に達してから,自伝,詩作,人生論などを含む全著作を子孫のために一巻にまとめることになるが,それは残念ながら後代に伝わらず,わずかに自伝の断片と“フリードリヒ皇帝とベイルート侯の戦史”が『回想録』として伝えられているだけである。
1882年6月のある日,北イタリア,ピエモンテ州サルツォ郊外のガレアニ伯の居城で,伯とその友人の鉱山技師カルロ・ペランが倉庫の樽の中から一冊の古写本を見つけ出した。ペラン氏がその写本に並々ならぬ関心を示したので,伯は気前よくその場でそれを贈与してしまった。図らずもそれは,540年以前にキプロスで書写された例の写本であった。この発見は当然,当時のラテン・オリエント学界に大きな反響を与えた。1883年の同学会の総会では,幹事長リアン伯から,既定の方針を変更して新発見写本の刊行を優先させる旨,報告されている。ところが奇妙なことにそれから一ヶ月後には早くもこの刊行計画は頓挫してしまっている。ペラン氏とオリエント学会の間にどのようないきさつがあったのかは,興味深いところではあるが,あまりよくは分かっていない。結果的にはペラン氏は,写本の公開は全面的に拒否したものの,精巧な複製を自ら作成してリアン伯に贈呈している(B.N.Paris, nouv. acq. fr.6680)。原写本を底本とした校訂本の刊行が不可能となったオリエント学会は,止むを得ずペラン氏のコピーを用いて“キプロス戦記”の最古版を世に出すこととなる(1887年)。校訂本の出た中世作品は数多いが,19世紀末のコピーを底本としたものは珍しいと思う。それから約20年後,1906年にアカデミーが「十字軍年代記選集」の第二巻として,マース・ラトリ伯による校訂本を出すことにな |
るが,その底本もやはりペラン氏のコピーである。肝心の写本そのものはペラン氏の死後行方不明となるが,1978年にトリノの王立図書館に納まっているのが発見されている。ヴィトリオ・エマヌエーレ三世の時代に収蔵されたようである(varia 433)。そして,ようやく1994年にル・ミエージュ写本から直接の校訂本が登場するが,ここではフィリップ・ド・ノヴァールの『回想録』のみが取り上げられている。『回想録』には,1218年〜1243年に及ぶフィリップ・ド・ノヴァールの主君筋イブラン家を中心としたキプロス・パレスチナの領主達と神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世との抗争が記されている。“ベイルートの老侯”と世人が慕うジャン・ディブラン一世は,英知,勇気,寛容を備えた稀有の名将であり,子息のバリアン三世もまた,智勇共に優れた有能な武人であった。フィリップは生涯を通じて,前者に対しては師父に対する敬愛の念を,後者に対しては莫逆の友としての信頼を寄せていた。ジャンを盟主と仰ぐ領主勢とオリエントへの野心をあらわにする皇帝,そして皇帝の手先としてキプロスの支配権を買い取った“五代官”との抗争は正に小説より奇なる史実そのものである。文武両道に秀でるフィリップはこの作品の中に,作者自身が「枝篇」と呼んでいる220行の小品を挿入して,その中で彼は自分自身並びに同時代人をそれぞれ,中世最大のベストセラー作品である『狐物語』に登場する人物に仮託して描いて見せている。この特異な手法の採用は当時のヨーロッパ社会とオリエント世界に共通していた文化水準,なかんずく,文学作品の共有の度合いをいみじくも教示してくれている。フィリップのような有識者のみが多くの文学作品に通じているのではなく,文盲の兵卒に至るまで“諸悪の根源である狐のルナール”をはじめ,有名作品の代表的登場人物の性格や特徴を周知し,名場面は知り尽くしていたのである。だからこそフィリップは攻城戦のさなか敵勢に向かって,“ルナールとその手下共にもの申す”,と自作の詩を歌って聞かせ,戦意を喪失させるための心理作戦の効果を期待することが出来たわけである。それにしても驚くべきは,『狐物語』の中で創作されている架空のエピソードと年代記作者フィリップが報告している実在の歴史的事実の一致,同一性である。フィリップとその仲間達は架空と現実が奇妙にまじり合った,尋常では想像も及ばない次元の世界に生きていたのだろう,とでも思うしかないのである。
|