*7月研究会 |
III
賞の授与
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北イタリア,
ポ一川の河口ちかい平原にフエラーラの町はある。現在では,ふつうの地方都市だが,かつてルネサンス時代には,隆盛をほこった都市国家であった。名目上は
教皇庁領内にあったが,独立の勢力をたもち,名だたる芸術家たちが訪れて傑作をのこした。その成功は,フエラーラ公エステ家の差配におうところが大きい
が,そのうちでも同家をささえた宮廷の女性たちの力が忘れられない。 |
た。醜聞にまみれたボルジア家の出身だけに,ルクレツィアにも疑惑がとなえられたものの,夫をささえフエラーラのエステ家公妃として,よく役割をはたした。こうして三人の義理姉妹たちはフエラーラの力を内外に顕示する看板ともなったのである。 |
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古代ギリシアのアテーナイにおいて女性はさまざまな面で権利を制限され,抑圧された存在であった。女性は生まれてから死ぬまで後見人(結婚までは父親,
結婚後は夫,夫と死別後は息子,離婚後は実家の父または兄弟)によって後見されなければならなかったし,経済行為についても制限が付けられていたことは,
イサイオス作第10弁論10の,「・・・・というのも,法は子供と女とに,大麦1メディムノス以上の契約を交わすことをはっきりと禁じている」という記述
が伝えている。また,外出にも社会通念から制約があったことは,ヒュペレイデス作断片205「女が家から外出するのは,通りがかりのひとたちが,彼女はだ
れの妻かと訊ねるのではなく,だれの母かと訊ねるようになってからであるべきだ」という記述から,うかがい知ることができる。 |
取したと告発した。マザコンのこの息子は,母親の死後になってようやく義父フォルミオンを訴えて,長年の鬱憤を晴らそうとしたのであろう。その裁判のためのアポロドロスの弁論が現存しているため,私たちはそれに基づいてアルキッペの生涯を辿ることができるのである。 |
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オウィディウス『名高き女たちの手紙』(Heroides)
は,ギリシア神話の登場人物による架空の書簡集という形式をとった詩作品である。とりわけ,単独書簡15編は,神話に登場する女性たちが恋愛関係にある
(あった)男性に宛てて書いた手紙という内容となっており,その内容は,手紙の書き手となる女性の状況・境遇の類似性・共通性から,マンネリズムであると
評価されてきた。特に第2歌「ピュッリスからデーモポーンへの手紙」と第7歌「ディードーからアエネーアースへの手紙」の2編は,その手紙の書き手の女性
の境遇だけでなく,作品中の表現にまで対応性・類似性があることが指摘されている。また一方で,このマンネリズムさえオウィディウスによる意図的なもので
あるという肯定的な評価も現れている。そこで,『名高き女たちの手紙』の作品解釈に際しては,先行作品で伝えられるギリシア神話の内容とより詳しく比較しな
がら,『名高き女たちの手紙』の各手紙間において,どのような内容の描き分けがなされているかということを検討することが,必須であると思われる。またこ
れにより,オウィディウスによるギリシア神話の受容と変容の一端も明らかとなるであろう。 |
えられることによる死, 後者はφαρμακον「薬」(cf.
Apollodorus 3.12.6)
を与えられないことによる死であるといえる。以上のような共通性・関連性がオイノーネーとデーイアネイラについての神話に窺える。 |
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フィレンツェの画家フィリッピーノ・リッピは,1488年から1493年にかけてローマ,サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にあるカラファ礼拝堂
のフレスコ画装飾を行った。注文主はオリヴィエロ・カラファ枢機卿で,彼はこの地を墓所とするために,遺体を納める小部屋を礼拝堂に隣接して設けた。そし
て1511年にミネルヴァ教会で実際に行われた葬儀で,人文主義者ヤーコポ・サドレートは枢機卿の純潔の美徳について以下のように述べた。「オリヴィエロ
は神聖な事柄や儀式に実によく専念し,彼が神の多大なご加護を受け,聖職者に求められる純潔に満ちた生活を送っていると誰もが考えていた。」(Rassegna
storica napoletana,n.
s. I(1940).
326) |
ちに持参金の入った袋を手渡すマリアが表された同信会のエンブレムを着想源としたがそのエンブレムはカラファ礼拝堂装飾
以前から存在し画家も注文主も目に出来たものである。同信会の規約では,持参金を受けるべき少女の絶対条件は処女であることで,そのために使用人として働
いた者に対しては,雇用主に性的束縛を強要された可能性があり,処女であるという証明が出来ないので,すべての要求を却下する旨が定められている。つまり
ミネルヴァ教会における受胎告知の聖母は少女たちの純潔が守られた状態に対して恩恵を与えてくれる聖人であった。また,カラファの遺言,同信会への寄付の
記録,教皇庁式部官ブルクハルトの日記から,カラファと同信会との密接な関係が確認できた。 |
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イタリア,アレッシィ社のフィリップ・スタルク氏デザイン,レモン絞り器Juicy
Salifをご存じだろうか?
アレッシィときくとカラフルなキッチン用品を思い浮かべるが,この絞り器はメタリックな一品である。逆雫形の本体に長い脚が3本ついている形,ロケットが
発射しようとしている姿と表現したらよいだろうか。幅14cm×高さ29cm,オブジェのようなアルミニウム製のレモン絞り器である。雫の球体部分へ半分
に切ったレモンをあてて絞ると,逆雫形の表面の筋をたどって絞り汁が落ちる仕組みである。Juicy
Salifは20世紀を代表する傑作品として,ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションにも認定されている。 |
と小売商管理組合へ申請,登録後,営業可能となる。現在,市内350ヶ所以上の定期市がある。露天商たちは曜日ごとに市
を渡り歩き,店開きをしているのである。定期市の開催場所としては市場施設や駐車場を利用する場合もあるが,多くは住宅街の街路を週に1日,車両規制し,
テントを張る露店タイプの露天市である。野菜やチーズ,オリーブ,乾物といった食料品に加え,衣料品や食器などの日用品がテントの下に並ぶのである。活気
に溢れた市場空間を眺めながら歩くだけでも楽しい。 |
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カイロといえば,イスラミック・カイロや19世紀以降の都市計画によりつくられた近代地区が思い浮かぶかもしれない。しかし,実際には,カイロの大部分
を占めているのはアシュワウィーヤとよばれる都市下層の人々が住む住宅街である。アシュワウィーヤとは,アラビア語でごちゃごちゃな状態を意味し,法律で
禁じられている農地の宅地転用によって住宅建設がなされたことから,英語で「不法」定住地として訳される。 |
用保障制度を利用して公務員になるべく大カイロにやってきた人々であった。したがって,従来の研究では農村側のプッシュ要因のみが強調されてきたが,農村から大カイロへの労働移動には政府雇用が重要なプル要因として作用してきた。 |
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