ルネサンスという人間性の解放がうたわれた時代が,女性にとっては必ずしもよい時代ではないのは,フェミニズムの論客でなくても様々な角度からうなづくところがあろう。中世イタリアにおける女性の財産権の低下傾向も,その一面を語っている。
法慣行として抗いようもないシステムのなか,女性が自分の権利を確実に獲得して能力を発揮する道はいずこにあるのか。それを伝えてくれるのが,14世紀ジェノヴァの大商人ナポレオーネ・ロメッリーニが残した遺言である。
ナポレオーネは14世紀に勢力を増しつつあったロメッリーニ家の出身で,自分一代で当時のジェノヴァ有数の富者となった。彼の二番目の妻がテオドーラである。彼女は夫の家門よりも古くから活躍した家門の出身であったが,この新興商人との結婚は,テオドーラに幸運をもたらした。テオドーラが婚姻時に持参した嫁資は800リブラであるのに対し,ナポレオーネが自分の娘に準備した嫁資は一人あたりその2倍の1,600リブラである。嫁資の額は家の豊かさの表れでもある。テオドーラは,成功を収める夫を手に入れることができたのである。
そしてテオドーラは,ナポレオーネの遺言で十分な権利を保証されるという幸福にも恵まれた。先妻の子や庶子,そして,テオドーラとの間の8人の息子をあわせ,ナポレオーネには総計20人の子が生まれたが,自分の死後,莫大な遺産処理を含む遺言の第一の執行人としてナポレオーネが任命したのは妻であるテオドーラなので |
ある。ここからは資産管理能力をもったテオドーラの姿がうかがえる。加えてナポレオーネは,テオドーラへの遺贈内容が守られるよう格別の配慮を長々と詳細に記している。そのくだりには,彼女の権利を侵害する者に対して,1,000金フィオリーニという高額の罰金を科し,その額を侵害した者への遺贈分から差し引きテオドーラに支払うようにと命じているものもある。テオドーラへの遺贈内容は,巨額ではあるが,分類としては嫁資等の現金や,不動産の用益権といった当時の法慣行に則ったものである。限界のある社会慣行のもと,テオドーラは,遺言という個人の裁量の余地がある仕組みのなかで,自分の権利を最大限に獲得したのである。そして夫がこうした特別の文言を付した遺言を残した背景を考えると,そこには彼女に対する愛情や信頼があったといえるのであろう。
表紙はこの夫婦よりずっと後の,近世におけるロメッリーニ家の紋章の一例である。ナポレオーネの死後,息子達は商業・軍事などにそれぞれ従事し,その男系子孫たちもジェノヴァの歴史に足跡を残していく。ロメッリーニ家は1528年にはジェノヴァの有力家門28家に名を連ね,二年任期ドージェ制期には6名ものドージェを輩出することになる。この家で後世にまで富者として語られたナポレオーネであるが,富だけでなく賢妻にも恵まれたことは,残念ながらあまりとりあげられないエピソードである。
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