2018年6・7月号,411号
目次
学会からのお知らせ
第42回地中海学会大会
6月9日(土)、10日(日)の2日間、新宮市福祉センター1階ホール(和歌山県新宮市野田1−1)において、第42回地中海学会大会を開催した。本大会は、国際熊野学会と共催したもので、和歌山県観光連盟、新宮市、熊野三山協議会、新宮市教育委員会、新宮市観光協会のご後援をいただいた。会員75名のほか、国際熊野学会会員はじめ地元市民ら多数(新宮市発表150名)が参加し、盛会のうち会期を終了した。次回大会は、神戸大学をホスト校に神戸市で開催する予定である。
6月9日(土)
開会宣言 14:00~14:05 本村凌二氏
開会挨拶 14:05~14:15 田岡実千年氏
記念講演 14:15~15:15
「熊野の魅力」 林雅彦氏
地中海トーキング 15:30~17:30
「世界の中の熊野」
パネリスト:高木亮英/松本純一/奈良澤由美/守川知子/司会:秋山聰 各氏
授賞式 17:40~18:10
「地中海学会賞・地中海学会ヘレンド賞」
地中海学会総会 18:10~18:40
懇親会 19:00~21:00 [ユーアイホテル]
6月10日(日)
研究発表 10:00~12:00
「古代小麦の再評価におけるシチリア州小麦栽培試験研究所」牧みぎわ氏/「西行歌にみる海浜の風景──「海人」への視線──」中西満義氏/「佐藤春夫と中国・台湾」辻本雄一氏/「二つの聖地風景──那智熊野とゲミレル島(トルコ、ムーラ県)のHodology──」辻成史氏
シンポジウム 13:00~16:00
「聖なるモノ」
パネリスト:山本殖生/奥健夫/太田泉フロランス/加藤耕一/司会:松﨑照明
第42回地中海学会総会
第42回地中海学会総会(岡田保良議長)は6月9日(土)、新宮市福祉センター1階ホールにおいて下記の通り開催された。審議に先立ち、議決権を有する正会員462名中(2018年6月6日現在)、260名の出席(委任状出席を含む)を得て、総会の定足数を満たし、本総会は成立したとの宣言が議長より行われた。2017年度事業報告、2017年度決算、2018年度事業計画、2018年度予算は原案通り承認された。2017年度事業・会計は野口昌夫監査委員より適正妥当と認められた。
議事
一、開会宣言
二、議長選出
三、2017年度事業報告
四、2017年度会計決算
五、2017年度会計監査報告
六、2018年度事業計画
七、2018年度会計予算
八、閉会宣言
2017年度事業報告(2017.6.1~2018.5.31)
I 印刷物発行
1. 『地中海学研究』XLI発行 2018.5.31発行
「中世イスラム世界のレモン利用と伝播に関する一考察──なぜ12世紀に『レモンの書』は編纂されたのか──」尾崎貴久子/「ギルランダイオ兄弟とその工房をめぐる言説と実態──ジョルジョ・ヴァザーリ『美術家列伝』の記述の検討を中心に──」伊藤拓真/「ボローニャ、パラッツォ・ラッタ《トロイアから脱出するアエネーアース》──その文献上の典拠と図像生成──」山本樹/「ドラクロワの初期歴史画における技法の問題──≪キオス島の虐殺≫のギリシア人の肌の表現をめぐって──」湯浅茉衣/研究ノート「古代エジプト、クフ王第2の船の甲板室に用いられた建造技術について」柏木裕之/研究ノート「アルテミジア・ジェンティレスキとナポリのフィレンツェ人コミュニティの関係」川合真木子/講演原稿「いかに地中海の歴史を描くか」デイヴィッド・アブラフィア/書評 鷹木恵子著『チュニジア革命と民主化──人類学的プロセス・ドキュメンテーションの試み』岩崎えり奈
2. 『地中海学会月報』 401〜410号発行
3. 『地中海学研究』バック・ナンバーの頒布
II 研究会、講演会
1. 研究会
「シチリアにおける海事秩序形成過程──14世紀の請願と海事規定から」高橋謙公(7.15)/「スペイン映画『オール・アバウト・マイ・マザー』の女性表象とスペイン・地中海文化性」矢田陽子(10.14)/「16世紀の空位期における都市ローマの統治状況」原田亜希子(12.9)/「自著を語る:『時がつくる建築』について」加藤耕一(2.17)/「熊野における大会に向けて」田村義也、秋山聰、松﨑照明(4.14) 会場はすべて首都大学東京秋葉原サテライトキャンパス
2. 連続講演会(休会中)
III 賞の授与
1. 地中海学会賞授賞
受賞者:篠塚千惠子氏
副賞 東横イン宿泊券(株式会社東横イン提供)
2. 地中海学会ヘレンド賞授賞
受賞者:河村英和氏
副賞 受賞記念磁器皿「地中海の庭」(星商事株式会社提供)
IV 文献、書籍、その他の収集
1.『地中海学研究』との交換書:『西洋古典学研究』『古代文化』『古代オリエント博物館紀要』『岡山市立オリエント美術館紀要』Journal of Ancient Civilizations
2. その他寄贈図書:月報および学会HPにて周知
V 協賛事業等
1. NHK文化センター講座企画協力「地中海:神話・伝承を紡ぐ」
2. NHK文化センター講座[Jシニアーズアカデミー]企画協力「世界遺産の中に歴史と文化を探る」「バロック世界の輝き」
3. ワールド航空サービス知求アカデミー講座企画協力「地中海学会セミナー:地中海世界への誘い」
VI 会 議
1. 常任委員会 5回開催
2. 学会誌編集委員会 3回開催、他Eメール上にて
3. 月報編集委員会 1回開催、他Eメール上にて
4. 大会準備委員会・実行委員会(合同)
3回開催、3/16に新宮市にて国際熊野学会および市関係者と協議、会場視察。他Eメール上にて
5. ウェブ委員会 Eメール上で逐次開催
6. 賞選考小委員会 1回開催、他Eメール上にて
VII ホームページ
URL= http://www.collegium-mediterr.org
「設立趣意」「役員紹介」「活動のあらまし」「入会のご案内」「NEWS」「事業内容」「『地中海学研究』」「地中海学会月報」「地中海学会の出版物」「図書紹介」「写真で綴る旅」
VIII 大 会
第41回大会(於東京大学本郷キャンパス 法文2号館1番大教室)
IX その他
1. 新入会員:正会員 7名;学生会員 4名
2. 法人化に向けた検討
2018年度事業計画(2018.6.1~2019.5.31)
I 印刷物発行
1. 学会誌『地中海学研究』XLII発行 2019年5月発行予定
2. 『地中海学会月報』発行 年間約10回
3. 『地中海学研究』バック・ナンバーの頒布
II 研究会、講演会
1. 研究会の開催 年間5〜6回程度
III 賞の授与
1. 地中海学会賞
2. 地中海学会ヘレンド賞
Ⅳ 文献、書籍、その他の収集
Ⅴ 協賛事業、その他
1.NHK文化センター講座企画協力
2.ワールド航空サービス知求アカデミー講座企画協力「地中海学会セミナー」
Ⅵ 会 議
1.常任委員会
2.学会誌編集委員会
3.月報編集委員会
4.大会準備委員会
5.ウェブ委員会
6.将来構想委員会
7.その他
Ⅶ 大 会
第42回大会(於和歌山県新宮市福祉センター)
6月9日~10日
Ⅷ その他
1.賛助会員の勧誘
2.新入会員の勧誘
3.法人化に向けての検討
4.展覧会の招待券の配布
5.その他
論文募集
『地中海学研究』XLII(2019)の論文・研究動向および書評を下記の通り募集します。
論文・研究動向 32,000字以内
書評 8,000字以内
締切 2018年10月末日(必着)
投稿を希望する方は、テーマを添えて9月末日までに事前に学会誌編集委員会(j.mediterr@gmail.com)へご連絡下さい。「執筆要項」をお送りします。本誌は査読制度をとっています。
10月研究会
下記の通り研究会を開催します。奮ってご参加下さい。
永井裕子氏(日本学術振興会特別研究員PD・九州大学大学院人文科学研究院)「アントニオ・ダ・モンツァの写本装飾──ロンバルディアおよびローマ教皇庁周辺での活動に関する問題──」
日 時:10月13日(土)午後2時より
会 場:学習院大学北2号館10階会議室(予定)
アントニオ・ダ・モンツァは15世紀末のイタリアで、教会関係の写本装飾に従事した画家である。ロンバルディア地方のフランチェスコ会修道士であったこと以外に、この画家に関する確実な史料は残されていない。本発表は、ミラノやローマに由来する作品の様式および図像の分析を通して、この画僧がロンバルディア地方で様式的基盤を築いたのち、ローマにて、ウンブリア派やローマ独自の表現を取り入れたことを確認し、この地で活動したことを論証するものである。
新事務局長および本部変更
山田幸正氏の事務局長任期満了により、本村凌二会長より島田誠氏が新事務局長に委嘱されました。これに伴い学会本部を下記の通り変更します。
旧:首都大学東京 山田幸正研究室
新:学習院大学 島田誠研究室
事務局夏期休業期間:7月29日(日)~9月2日(日)
地中海学会大会 研究発表要旨
古代小麦の再評価におけるシチリア州小麦栽培試験研究所
牧 みぎわ
近年、世界的な小麦アレルギー人口の増加、健康志向、食の安全などの理由から、食卓の中核をなす小麦への関心が高まりをみせている。このような状況の中、イタリアではかつて栽培されていた在来小麦品種が見直され始めてきた。20世紀半ば以降の人為的交配を経た“現代小麦=grano moderno”と区別される形で、在来品種は “古代小麦=grano antico”と呼ばれ、現代小麦に比べてより健康志向に訴求し、アレルギー症状が出にくいケースがあるといった理由から注目を集めている。
特に、パスタの原料であるデュラム小麦の特産地、シチリアの古代小麦品種は、その品質や安全性などが高評価を得ている。古代小麦製品の市場は拡大し、イタリア食文化に新しい流れをもたらしている。本報告は、この古代小麦再評価の背景に1927年設立の「シチリア州小麦栽培試験研究所Stazione Consorziale Sperimentale di Granicoltura per la Sicilia」(以下「シチリア小麦研究所」) の功績があったことに着目し、その現代的な価値を評価することを目的とする。
1920年代は、イタリア小麦にとって革命的な転換期であった。1925年、ムッソリーニ政権下で小麦の国内自給率向上を目的とした農業開拓事業「小麦戦争」が推進され、優秀な農学者の取り組みにより、生産性の高い“現代小麦”品種が開発され、小麦の収量は数年で大幅に増加した。戦後はこれらの小麦がほぼ全土で栽培されるようになる。40年代以降は更に著しい交配技術の進歩で、より栽培・加工しやすい品種が開発され、イタリアでも在来種の多くが取って代わられていった。
しかし唯一、シチリアでは、古代小麦の多くを意図的に保存する動きがあった。それを主導したのが「シチリア小麦研究所」である。同研究所も小麦戦争の一環として、収量向上を目的として設立された。1929年~20年間、U.デ・チッリスが所長となり同研究所を牽引したことが、古代小麦品種の蒐集に繋がることとなる。彼の小麦改革の特徴は、シチリアの環境特殊性を重視し、イタリア本土とは異なる小麦栽培のありかたを目指したところにあった。夏季の猛暑や乾燥、地理的環境の多様性、農業技術の後進性などを考慮する中、デ・チッリスは、この地に古くから絶え間なく栽培され、根付いてきた土着品種が数多くあることに着目した。その出所を特定し、検証し、良質な種子を純化することで、シチリアの土壌に真に相応しい品種を追及することができると考えたのである。つまり、広く適応性のある単一の新品種を作って土地との妥協点を探るのではなく、土地の潜在力を最大限に活かせる既存品種を活用することがねらいであった。この考えは、現代有機農業の基本的な考え方、すなわち、生態系の多様性を活かそうとする理念と合致する。
この研究のために、シチリア全土で種子の蒐集と保護が始まった。農家を一軒ずつ回り、種子を集めるという、根気のいる作業が続けられた。しかし、戦後は先述のとおり、現代小麦の台頭によりシチリアの大地からも古代小麦は姿を消してゆき、「シチリア小麦研究所」は一時閉鎖、縮小など、危機的状況にも見舞われる。デ・チッリスの小麦改革は果たされずに終わるかと思われたが、彼の遺志を継いだ研究員による古代小麦群蒐集と研究は地道に続けられ、後世へ再生の可能性を維持していた。結果、200以上在った古代品種のうち、現在までに約50種が保存され、21種が栽培化の再開に成功している。
2000年を迎え、食の安全、伝統の保護、生物多様性重視といった傾向のなか、古代小麦が再び脚光を浴び、デ・チッリスの小麦コレクションが日の目を見るときがやってきた。同研究所は、需要が発生すると同時に速やかに動きだした。種子を農家に無償提供し、栽培指導も行い、若い農業従事者が古代小麦の生産を始めるための窓口となる。さらに、古代小麦の健康面や食味についてのデータを、各種セミナーを通じて周知させている。また、シチリア古代小麦コレクションは重要な「種の保存」として、世界の遺伝資源銀行からも注目が集まっているという。
「シチリア小麦研究所」との協力関係のもとに、シチリアの食文化とその市場に新しい流れをもたらす人々も登場した。古代小麦栽培農家の代表格G.リ・ロージ氏 、古代小麦専門の製粉業者F.ドラゴ氏、古代小麦パン職人G.マルティネス氏らである。彼らは同研究所のサポートや助言を受けて古代小麦を栽培および製品化し、美味しさに留まらない利点を顧客に届け、成功を収めている。トップ・シェフやワイン生産者も古代小麦に食指を動かす。シチリア古代小麦を通した新たな味覚の探求がガストロノミーの分野でも広がりつつある。
デ・チッリスが始動したシチリア古代小麦蒐集の取り組みは、90年の時を経て、恐らく本人の予想もしない形で脚光を浴びつつある。現在のシチリア小麦研究所員たちの意識も高く、古代小麦が再評価を得るための材料は、今後も更新され続けていくにちがいない。
地中海学会大会 研究発表要旨
二つの聖地風景
辻 成史
「ほとんど動かない歴史longue durée」の普遍性と重要性を主張するF. ブローデルに対し、P.ホーデンとN.パーセルは『堕落の海The Corrupting Sea (2000)』において、地中海世界の本質を多数の「小地域microregion」とその「連鎖connectivity」に見出した。彼らの著作には豊富な考古学的な実例が基礎にある。大阪大学によるリキア半島地中海沿岸における考古学調査の意義を認めいち早く引用したのは彼らである。より最近2011年にD. パナギオトプロスは、ブローデル以来の地中海論を考古学研究者の視点から総括批判し、将来への展望を述べた。考古学は、本来モノの移動、制作地や制作年代の比定を課題としており、高い実証性をもって議論することができる。紀伊半島太平洋岸に関しても、伊勢・志摩から熊野にかけて出土する考古資料の豊かさはそれに呼応している。
他方、大阪大学文学部は1990年から他の諸大学の人材の協力を得、小アジア(今日のトルコ共和国)最南端の半島、古代名リキアの地中海沿岸における古代末期―初期ビザンティン文明の遺跡調査を開始した。『シオンの聖ニコラオス伝』、あるいは中世の航海案内記から推測するにエリュデニズの内海に面した地域の中心はシンボラの都邑であり、対して地域の西の中心ゲミレル島には、少なくとも四つのバシリカ式会堂と大規模な貯水槽を備えた都市遺構が存在している。中世以来この島は聖ニコラオスの島と呼ばれており、島の繁栄がこの聖人の崇敬と巡礼運動に深い関わりのあったことに疑いの余地はなくそこに見出される考古資料は無数といってよい。
だが難点は同時代の文献が貧しいことである。そこで発表者は、2011年から2012年度にかけ、新たな解釈の方法を提案した。調査の対象となったゲミレル島にも本土側にも多数の「道」がある。中世以来人の住むことのなかったゲミレル島およびその南の指呼のうちにあるカラジャエレン島上の道は、古代以来の位置と形態をそのままによくとどめている。古代中世の人たちにとって「道」が単なる利便性を超えた重要な意味のあったことは、カラジャエレン島における三つの奉献文がすべて会堂に向かう「道」の造営と奉献にかかわっていることから明らかである。これら古代の「道」は何らかの重要な象徴的意味を担っていた。その足跡を追ってそれらの道を辿ることによりその地域が「活きられていた」当時の状況と意味をある程度追体験できるのではないか。
また「海の道」も重要な連鎖を形成していた。新約聖書の『使徒行伝』に詳しく語られた聖パウロの四回にわたる旅の記録のうち、三回までがリキア半島とその近傍の港を経由している。とくに第四回旅行の記録は帝政期の地中海における連鎖の多様性を示す。一方には近距離の地域間を頻繁に結ぶ沿岸航路cabotage、その対極には大量の人員と穀物を積んでアレクサンドリア─イタリア間をほぼ直行する航路があった。人は、この二つの異なった連鎖を利用して旅したと思われる。パナギオトプロスは、大きな投資力と卓越した技術そして勇気が、一致して遠距離間の連鎖をすでに青銅器時代から実現していたことを強調する。さらに彼はこのような多様な連鎖で結ばれていた地中海の空間は、科学的で変化することのない地理的な空間の対極を成すホドロジカルな空間であった、とする。
幸いなことに画巻と対になった國學院大学蔵の那智熊野参詣曼荼羅は、観者が参加、活動するホドロジカルな風景を活き活きと示している。とくに画巻には冒頭に補陀落渡海の出発場面が詳細に描かれ、聖地巡礼と渡海の結びつきを示している。那智熊野における渡海は過酷な行事として知られてきた。根井浄の詳細な研究の示すように、補陀落渡海の試みは近世に至るまで続き、そのいくつかは集団の捨身行としての入水であったことが知られている。運よくいずれかの陸地に辿りついたものは、そこを補陀落と信じ新たな寺院を建立などした。
だが今日の視点から理解に苦しむのは、古代の遣唐使派遣以来中国浙江省の寧波沖には観音の巡礼聖地普陀山があって、早くから日本にもよく知られていたことである。無本覚心は建長元年(1249)に由良の港を出、博多津から外航船に乗って寧波に至った。真っ先に拝んだのは補陀の聖地である。6年後帰国の船は出港後まもなく嵐にあったが、覚心が持ち帰ろうと所持していた観音像に念じたところ嵐は静まり、無事帰国することができた。室町時代に入ると、中国に向けての外海航路は非常な賑わいを見せていた。では、何故に同じころ熱烈な補陀落の聖地信仰に燃えて、老いも若きもそこをこの世にあっては到達できない来世の浄土と信じ、自らその命を絶ったのであろうか?あるいは心の中の補陀落の景観を信じ、たまたま見出したそれと思しきところを浄土としたのであろうか?確かなこととしてここには二つの聖地がある。信仰に燃えた心の目に映ったヴィジョンとしての聖地と、現実にこの世のどこかに存在する聖地がそれである。