ペイライエウス [ギリシア]

ΠΕΙΡΑΙΕΥΣ [ΕΛΛΑΣ]


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  アテナイの外港として栄えたペイライエウス(現ピレアス)は,占領時代に荒廃の憂き目に会ったが,20世紀が始まるその前後から次第に隆盛を取り戻し,今日では,ギリシア最大の貿易港として,また旅客船の玄関口として,重要な役割を担っている。

  ペイライエウスは,テミストクレスにより,紀元前5世紀に入ったころから,アテナイの軍港として整備が開始された。その後,ペリクレス時代の前470〜460年ごろには,ミレトス出身のヒッポダモスの都市計画に従って,碁盤の目状の街並みが造られた。その街と港を取り囲んでいた城壁の遺構は,現在でも市内のあちこちに残っている。とはいえ,ほとんどはごく一部だけで,ぎっしり建てられたビルやアパートメントの谷間に埋もれていて,探すのにも一苦労である。市内に遺跡の位置を示す標識の類はほとんどなく,ピレアス考古学博物館で購入した現代ギリシア語のガイドだけが頼りである。

 ペイライエウスの玄関 -- 城門と城壁

  最初の写真にある図の左側の城門は,ペイライエウスの玄関に当たる「市の城門」で,右側が「長城間の城門」である。図の右上方向がアテナイ中心部,下側がペイライエウス中心部で,黒く塗られた部分が現存する。

図 「市の城門」 城壁
遺跡横の図 「市の城門」 2つの城門の間の城壁

  ペイライエウスを取り囲む城壁と,アテナイ・ペイライエウス間を結ぶ「長城」が連結する地点にあった「長城間の城門」の遺構。この城門は,当時2本平行して走っていた「長城の間」にあり,北側の1本がここからアテナイへと延びていた。

「長城間の城門」 1 「長城間の城門」 2
「長城間の城門」(図左下方向より) 「長城間の城門」(図右上円形部分)

 中央港(カンタロス港)

  半島の西側に位置する。ギリシア最大の貿易港であるとともに,エギナ(アイギナ),クリティ(クレタ)をはじめとするギリシア各地の島々に向かう高速船やフェリーの玄関口でもある。

  余談ながら,14世紀には,ピレアスは,当時港に置かれていたライオン像に因んで「ポルト・レオーネ」と呼ばれたが,その像は1688年にヴェネツィアに持ち去られ,現在,ヴェネツィアのアルセナーレの入口を飾っている。

中央港 ヴェネツィア・アルセナーレ
中央港 ヴェネツィア・アルセナーレ入口

 市の中心部

  狭い半島の中には,道路が碁盤の目状に走り,銀行やブティックが並ぶ商業地区,観光や船舶関連のオフィスがある港周辺,アパートメントが立ち並ぶ住宅地区,活気あふれる下町などがあり,少し歩いただけでも,ピレアスの様々な素顔に出会うことができる。

ローマ時代住居跡 アギア・トリアダ教会 劇場
ローマ時代の住居跡 ギリシア正教アギア・トリアダ教会 市中心部の一角を占める劇場

 ゼアとミクロリマーノ

  半島の東側。古代には海軍国アテナイが誇る三段櫂船の基地だった2つの小さな湾も,現在では,陸側はタヴェルナ,海側は大小様々なヨットにすっかり「占領」されている。

ゼア ドックヤード跡 1 ドックヤード跡 2
ゼア ミクロリマーノのドックヤード跡 1 ミクロリマーノのドックヤード跡 2

 アクティ・テミストクレウス

  ピライキ・アクティと呼ばれている半島先端部の海岸線に沿ってアクティ・テミストクレウス通りが走っている。ゼアから少し南に行った半島の東側には,わずかながら砂浜もあり,そこから北東方向に目をやれば,アテネの海岸沿いに広がる比較的新しい市街地やその奥に連なるイミトス(ヒュメットス)山系を臨むことができる。

急な坂道を下っていくと... ゼアとカステラの丘 アテネ遠景
急な坂道を下っていくと... ゼア出口とカステラの丘(ムニキア) 対岸はアテネ市街地とイミトス山系

 ピレアス考古学博物館

  ゼアから市の中心部に向かって坂道を少し上ったところにピレアスの考古学博物館がある。敷地内には,ヘレニズム時代のゼア劇場があるが,遺跡内に入ることはできない。博物館は1935年に建設され,1966年の改築を経て,現在に至っている。建物は2階建てで,10室の展示室から成り,ピレアスをはじめ,モスハトやカリセア周辺から発見された様々な出土品や資料を展示している。

ライオン像 「神々の母」 ヘルメス柱像
ライオン像(BC4C後半) 「神々の母」(キュベレ)像(BC4C) ヘルメス柱像頭部(BC1C)
アポロンの青銅像 ゼア劇場
アポロンの青銅像(BC6C終わり) ゼア劇場(ヘレニズム時代)

 コノンの城壁

  アクティ・テミストクレウス通りのすぐ下に続くコノンの城壁と塔。城壁は,ペロポネソス戦争終結後の紀元前404年にスパルタ軍により破壊されたが,コノン(前400年前後に活躍したアテナイの将軍)によって前393年に再建されたもので,距離にして2.5kmほどが現存する。45〜100m間隔で塔が配置されていて,当初55あったうちの22が現存するという。半島先端部周辺には魚介類中心のタヴェルナやホテルが軒を並べている。

コノンの城壁 1 コノンの城壁 2 コノンの城壁 3

(杉山 晃太郎)

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